2005-03-22 第162回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号
最近の問題といたしましては、一昨年、その操業準備に係るロシア側内部の手続に遅れがあったということで、我が国の漁業者の方がその操業を開始されるのが大幅に遅れて大変な経済的な損失を被られたということがございました。
最近の問題といたしましては、一昨年、その操業準備に係るロシア側内部の手続に遅れがあったということで、我が国の漁業者の方がその操業を開始されるのが大幅に遅れて大変な経済的な損失を被られたということがございました。
昨年の操業の遅れでございますが、これは、私どももその遅れの事態に対して何度も申入れをいたしまして、ロシア側の説明は操業準備にかかわるロシア側の内部の手続の遅れによると、こういう非常に遺憾な事態であったわけでございます。 これにつきましては、昨年のその事態の発生以来、我が方よりロシア側に対して、こういうことが繰り返されることのないよう何度も強く申入れを行ってきているわけでございます。
したがいまして、特に三月を一月に繰り上げたということは、もちろんその作業、切り羽の操業準備が一応十二月に完了する、こういうこと自身の点については変更はなかったと聞いておりますが、展開の仕方が、断層がありましたために、右から左へ行くところを左から右に最後に変えた、こういうことだと私どもは聞いております。
また、いま具体的に、漁業関係労働者に対して雇用保険法を適用してほしい、操業準備のための運転資金を無利子で貸与してほしい、雇用調整給付金制度の指定などそれに加えてほしいという具体的な要求もありますが、この点についていかがでしょう。
(二)次に、動力炉・核燃料開発事業団におきまして高速増殖炉実験炉及び新型転換炉原型炉の建設を進めるとともに、高速増殖炉原型炉に必要な研究開を発行うなど、動力炉の開発に必要な経費として三百六十六億九千四百万円を計上し、また、使用済み核燃料再処理施設の整備、同施設に関連する安全性の研究開発及び操業準備等に必要な経費として九十四億六千七百万円を計上いたしました。
二、次に、動力炉・核燃料開発事業団におきまして高速増殖炉実験炉及び新型転換炉原型炉の建設を進めるとともに、高速増殖炉原型炉に必要な研究開発を行うなど、動力炉の開発に必要な経費として三百六十六億九千四百万円を計上し、また、使用済み核燃料再処理施設の整備、同施設に関連する安全性の研究開発及び操業準備等に必要な経費として九十四億六千七百万円を計上いたしました。
その百三億円というのはどんなことでかかるかと申しますと、安全性を高めるためのいろいろな改良工事というようなもの、それから電力から新たな事態としていろいろ要求されておりますところの核燃料の貯蔵庫、それらのものを新設しなければならぬというような関連費用、それから操業準備のためにいろいろ先行手配等をやらなければならぬものもございます。
その他は操業準備中でございます。なおこの地域には離職者による企業組合等も七社進出をいたしております。離職者の吸収人員は約六百名、そのうちで離職者による企業組合等の従業員は三百五十二名ということになっております。 それからキャンプ小倉、これは旧小倉の陸軍造兵廠でございまするが、これもいろいろ計画の変更等がございまして、四分割あるいは五分割して企業を誘致するというような方針になっております。
八万五千トン程度がなけりゃ、本年度の操業準備をしても、それらにも甚大な被害もあろうという点も相当大きな理由になってもいいじゃないですか。それから過去のあの大騒ぎをした補償の問題等で騒がれた例等もあるのですから、今のようなお話を聞くと、やはり禁止区域というものをソ連側に譲歩せしむる場合には、八万五千トンよりも漁獲量は下がる。
よって本年度の操業準備の関係もあり、政府は昨年十二月中旬、ソ連側に対しまして、日本側委員の名簿を通知いたしますとともに、第一回の日ソ漁業委員会を十二月下旬より東京において開催したい、こういう旨を申し入れました。また、顧問以下代表団の構成をも決定して、ソ連側代表団の来日を待っておるわけでございますが、先方の都合で来日がおくれておる現状であります。
同月二十二日第三十一山田丸は午前五時四十七分抜錨完了、微速前進いたしまして、僚船の第三十二山田丸と接近操業準備中、同五時五十三分、突然怪船より曳光弾及び砲撃を受けました。当日の午前五時三十分現在の同位置における気象状態は、天候は半晴、雲、三分の一、風向、ゼロ、風力ゼロ、視界二、うねり、ゼロ、波浪ゼロ、気圧一千二十二ミリバールでございます。これはお手元にあります東根三郎の口述書にございます。
私たちはそのときには警官もおらず、ただ船員のみで操業準備をしておりましたので、韓国の同業者たちと思つて安心しておりました。そのときには昌運号という船名がはつきりわかり、南鮮のマークもついておりました。